【新唐人2011年4月1日付ニュース】中国の政治の象徴である天安門広場。1月に孔子の像が建てられたばかりですが、今度は緑化のための改造工事が行われています。天安門広場で度々繰り広げられる政治パフォーマンス、その真の意図は一体何なのでしょうか
天安門広場は観光客が一度は訪れる場所です。しかし、今は殺風景になっています。広場のあちらこちらが掘り返されているからです。
“新京報”の報道によると、中国当局が天安門広場に9600平米の緑化プロジェクトを進めているそうです。3月24日より、広場周辺の芝生に深さ50cmの溝を掘り、樹木を植える準備を進めています。
これは“祥雲”と名づけら、当局いわく、広場の熱を下げるためだそうです。しかしフランスのラジオ局RFIは、これは市民の集会を防ぐための、当局の念入りな計画だと指摘します。
似たようなことが上海でもありました。上海市政府ビル前の人民広場は90年代に改造を行い、芝生と木を植えました。上海市民によると、広場に緑化地帯を作ることで、群衆が集まったときに、当局は芝生保護の理由で追い払うことができるそうです。
香港のアップルディリーは、共産党の指導者はみな天安門広場に自分の地位を示す痕跡を残そうとすると指摘。
では、歴代の共産党指導者は天安門広場にどんな痕跡を残したのでしょうか。
共産党の一代目独裁者毛沢東は自分の遺体を残しました。しかし近年、多くの人が毛沢東の遺体の移転を呼びかけています。
天安門広場のここ20年の歴史を振り返ると、血と涙で染められています。1989年民主化を求める学生を虐殺した共産党二代目の独裁者鄧小平は、その血生臭さを残しました。
2000年1月の天安門焼身自殺事件を仕組んだ、三代目の独裁者江沢民。法輪功(ファルンゴン)を弾圧する口実を作り、中国人の憎しみを煽るために演じられたこの茶番劇も、後に新唐人が制作したドキュメンタリー番組によってその真相が暴かれました。
江沢民はまた、愛人のために30億元を投じて広場の西側に国家大劇院を建てました。
今年1月、胡錦涛は広場の東側に孔子の像を建てました。終わったばかりの政治局会議では、国家大劇院の前に関公の像を建てれば、孔子と向かい合って、文武が揃うといった意見さえ出ました。
学者の吳さんは、歴代の共産党政権は力ずくでいわゆる安定維持に取り組むと指摘。そのために、いいもの、悪いもの、なりふりかまわず古今東西のあらゆる方法を用いますが、どれも独裁政権を維持するための一時的なもので、問題解決にはなっていないといいます。
新唐人テレビがお送りしました。